この記事では,私がベトナム留学中に感じたことや考えたことをお伝えしていこうと思います。本記事は<Part19>になります。このシリーズは全部で<Part20>まであるので,以下の記事で目次をまとめています。ぜひ参考にしていただければと思います。
これらのシリーズは,以下のような人を対象とします。
ベトナムがどんな国なのかを知りたい人
ベトナム留学でどんな経験ができるのか見てみたい人
日本と比べてベトナムがどう違うのか知りたい人
苦労したことや楽しかったことを知りたい人
[その64]ベトナム人と形式美
私の印象だけではありますが,ベトナム人は形式にこだわりすぎる場面が多いように感じます.どこか「取り組みによって生み出される形式」さえよければそれで満足というような意識が見られるんです.
たとえば,大学では大量のレポート課題が出されました.最初のうちは,特に形式を指定されなかったので,私はシンプルな表題をつけてホッチキス止めでレポートを提出しました.ところが,他の友達が出したレポートを見てみると,非常に凝ったデザインで表紙が作られており,しっかりと製本されていました.レポートでここまでするか,と.
面白いのが,彼らのレポートは内容としての評価が必ずしも高くないものが多いという点です.日本とは違って,私の大学ではテスト評価のプライバシーは無いようなものです.ですので,嫌でも全員のスコアを知ることになるのです.
私のレポートは,特にオリジナリティもなく,シラバスに沿って全要件をまんべんなく満たしたレポートを書いただけなのですが高評価でした.対して,表紙を凝ったベトナム人の多くが低評価でした.
思わず心の中でツッコミ入れました.同様に,大学のHPやフェイスブックのページも非常に凝ったデザインで,様々な情報を日々更新し続けています.しかし,大学の実態はそこまで良いものではありません.大学の講義はほとんどが遅刻してきますし,イベントの運営も適当です.ネットやフェイスブック上では,写真によって切り取られた数々のイベントや授業は,よく見えてしまうんです.この姿を見て,大学も生徒も満足します.
他にも,私はフットサル同好会に属していました.そこでは,特にトレーニングや練習をするわけでもなく,年2回開催される大会に出てみっかという程度です.しかし,ユニフォームだけは一丁前なんです.ベトナムの業者にしっかり依頼して,名前入りのユニフォームを作ってもらいました.
そう思わざるを得ない一面でした.ベトナム人が見栄えを気にするというのは,私にとって意外な発見であり,同時にうまく利用できる文化だなと感じました.
[その65]外国人をもてなすということ
留学中に何度も不思議に思ったことがあります.
私の留学先は生徒数が少なく,まるで高校のような雰囲気です.そこに,日本人留学生が1人入ってきたというような状況でした.
教室に初めて入ったときは,高校のような授業ではなくて,京大のようないわゆる大学の講義的な雰囲気だと思っていたため,適当な席を選んで1人ポツンと座っていました.
そうすると,たくさんのベトナム人が話しかけてきてくれ,すぐにクラスに馴染むことができました.しかも,せっかく日本から来たんだからということで,毎週末有名な観光地にバイクで連れて行ってくれたり,家庭料理を振舞ってあげるということで家に招かれたりしました.
日本の大学だったら,考えられないことではないでしょうか.少なくとも,京大ではあまり考えにくい話です.京大では,留学生専用ラウンジが用意されていて,留学生は留学生同士かたまってコミュニティを形成しているので,京大生が留学生を連れて毎週末京都を案内するなんて考えられません.
しかし,考えられないだけで,日本人はもっともっと留学生をおもてなしするべきなのかもしれません.せっかく日本を選んでくれたんだから.いろいろな体験をしてほしいし,日本に来てよかったと感じてほしいですよね.
実際に,私が1回生の頃に英語のクラスでスロベニアからの留学生と知り合ったことがあります.しかし,それっきりです.英語の授業で顔を合わせると,おす!と挨拶はしますが,日本を紹介するなんて思い浮かびすらしませんでした.
そんな過去の自分を恥ずかしく思うと同時に,気付けて良かったと心から感じています.
[その66]日本語ビジネス
私がベトナム留学に来た目的の1つに,ベトナムでのビジネスチャンスを発見するというものがあります.本当はインターンに申し込みたかったのですが,やはり大学との両立は厳しかったので諦めました.
その代わりに,日本語を学ぶベトナム人に日本語を教えるというボランティアを始めました.もともとは,友達の紹介で知り合ったベトナム人が日本語を学びたいということだったのですが,これは挑戦のチャンスだと感じたので他のベトナム人も巻き込んで1つの企画を立ち上げてみました.
内容はシンプルで,もともと存在する「日本語を学びたいベトナム人」のグループを利用して,喫茶店で私が日本語を教えるというものです.しかし,いわゆる塾のような形態ではなく,ベトナム人にはよりたくさんの日本文化に触れてほしく,日本語を話す機会をたくさんもってほしかったので,インテラクティブな形態にしました.
具体的には,ある1つのテーマについて,好きなだけ自分で調べてきてもらいます.喫茶店では,調べてきた内容を1~2分間程度でスピーチしてもらい,そこから派生させて様々な話をしようというものです.
これらの取り組みを通して感じたことは,日本文化の伝道師がベトナムに必要だということです.十分な需要は,確かにあります.日本語に興味を持つベトナム人のほとんどは,お金をかけて塾に通っています.そして,外国人のための日本語能力試験であるJLPTで十分なレベルを取得することを目標にしています.
しかし,私が感じたことは,ベトナム人にとって1番欲しているのは日本語ネイティブの存在です.私がこの企画を始めた際は,本当にありがたいという言葉をもらうことが多かったです.さらに,塾に通われる方の中では,塾の先生がイマイチだという声もありました.やっぱり日本人のネイティブと話すのは違う,と何回も繰り返し強調していました.
そして何より,塾での勉強より日本文化を知りながら日本語を勉強できる環境が素晴らしい,ということも伝えてくれました.本当に機会をくれてありがとう,日本文化がさらに好きになりました,などなどの嬉しいお声掛けもいただきました.
これだけ需要の強い市場だと思うのですが,日本の企業は進出していないのでしょうか.もしされてないのであれば,大きなチャンスが転がっていると感じています.
[その67]留学の目的は達成できたか
こちらの記事で,私がベトナム留学を選んだ理由をお伝えしています.以下が,主な理由です.
<理由1>社会主義国家で暮らしてみたかった
<理由2>物価が安い
<理由3>IBMという魅力的な学部
<理由4>オフショアの現実を目で見たかった
<理由5>大学院入試との兼ね合い
1つずつ見ていきます.社会主義国家での暮らしから,何か得られたのか.ベトナムには,確実に社会主義体制への疑問や葛藤がありました.特に若者に顕著で,「私たちは経済を発展させるために資本主義経済を取り入れる必要がある」と語る友達もいました.
しかし,同時に国に決められたことはもう仕方がない,と諦めてしまっている人もいるのが現状でした.正直なところ,今のベトナムの経済的な勢いが国家体制と上手くかみ合っていないことは明白なのですが,それをどのようにして解決していけばよいのかは思いつきませんでした.
同じように,インターンに申し込めなかったことから,オフショア開発の実際を,体験することはできませんでした.加えて,ダナンという土地より,多くのIT企業はホーチミンやハノイに進出しているので,そもそも留学先と目的が合致していなかったと,自分の詰めの甘さを感じました.
IBM(International Business Management)という学部では,たくさんのことを学びました.京大では実践的な学びを得ることが少ないので,私にとっては大きな収穫でした.授業内でのフレームワークやケーススタディーなどは,ベトナムで学ぶからこそ意味のある内容であったと感じています.
というのも,授業では「どうしたらベトナムで多国籍企業が成功するか」のようなテーマを,ベトナム人の視点から学ぶことができるからです.ベトナムから見て,進出してきた多国籍企業にはどのようなイメージを受けているのか.実際のリアルな声を聴くことができました.
他にも,ベトナムでビジネスを展開する際に本当に必要なものは何なのか,等の問題に対して様々な角度からアプローチを仕掛けることができました.1つの答えはなく,問題への切り口によって割り当てる言葉が異なり,中身には共通した概念があるといったようなイメージです.
当初の目的を十分に達成することはできませんでしたが,それ以上に様々な刺激を得た留学でした.
まとめ
いかがでしたでしょうか.今回は,ベトナム人と形式美の話から始まり,外国人をもてなすということ,日本語ビジネス,そして当初の留学の目的についてお話ししました.
特に形式美の話に関しては,私がベトナムの文化で最も面白いなと感じた一面でした.何事も,中身が伴っていなければ批判の対象になり,蔑まれます.しかし,実際に形式美という観点が,私たちのモチベーションになることも多いのです.
適当・時間にルーズ・怒りっぽいなどのイメージがあるベトナム人ですが,見栄えを気にするという意外な一面があるということは驚くべき発見でした.うまく利用すれば,ベトナムでのビジネスにつなげられそうな予感がします.