この記事では,私がベトナム留学中に感じたことや考えたことをお伝えしていこうと思います。本記事は<Part4>になります。このシリーズは全部で<Part20>まであるので,以下の記事で目次をまとめています。ぜひ参考にしていただければと思います。
これらのシリーズは,以下のような人を対象とします。
ベトナムがどんな国なのかを知りたい人
ベトナム留学でどんな経験ができるのか見てみたい人
日本と比べてベトナムがどう違うのか知りたい人
苦労したことや楽しかったことを知りたい人
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[その8]配車アプリ「Grab」の台頭
ベトナムに来て1週間,どこかに行くときは友達のバイクに乗せてもらうか徒歩を選んでいました。しかし,少し離れた場所へ1人で行かなくてはならない用事ができてしまいました。
と悩んでいたところ,友達がこんなことを教えてくれました。
「Grab」は東南アジアを中心にシェアを広げる配車サービスアプリです。(詳しくはコチラの記事をご覧ください)名前こそ聞いたことあったものの,どうやって使うのか全く知りませんでした。その友達に使い方を教わりながら,何とかアプリをダウンロードし車/バイクを予約できるようになりました。
使い方はとっても簡単で出発地と目的地を設定して交通手段を選び運転手が来るのを待つだけです。しかもその待ち時間は数分です。
はい。ここは私も本当にびっくりしたところです。比較的栄えている町中だと,1分も経たないうちに来てくれたこともあります。「Grab」のよいところは,その早さだけではなく価格も安い点です。
通常のタクシーやバイクですと観光客や外国人に対して不当な料金を請求するケースが多発しています。東南アジアでは,タクシー利用はトラブルのもとです。その点,「Grab」を用いれば乗車以前に料金が確定するのでぼったくられることはまずありません。
さらに,「バイク」「車」「相乗り」など利用形態に応じて価格帯も選択できます。
こんな調整もできてしまうんです。こんなにも便利なアプリ,何かウラがあると思ってしまいますよね。でも心配はいりません。
こんな風に緑色のヘルメットをつけた「Grab」専属の運転手さんが安全に目的地まで送り届けてくれます。
こんな感じで常時スマホを確認して待機してくれています。緑色の制服が目印です。ですから
なんてことにはなりません。お支払方法も目的地到着後に手渡しで払うことができます。さらになんと,クレジットカードを事前に登録しておけばキャッシュレスで乗車することが可能です。もちろんお支払い後は登録アドレスに領収書が送信されます。「手軽さ」「格安」「安全」「迅速さ」これらすべてを兼ね備えた最高のサービスだと感じました。
[その9]「物乞い」とホームレス
私は以前カンボジアにも行ったことがあるのですが,そこで一番感じたことが
ということです。
町中を歩いていると,私が観光客だと分かるからかもしれませんが竹かごの中に入ったお札を指差してお願いするような目でこちらを見てくるのです。私にとって人生初めての「物乞い」体験であり,どうするべきかその場で判断できなかったので素通りしてしまいました。
その他にもたくさんの物乞い体験をしたのですが,日本に戻ってきた瞬間に忘れてしまっていました。ベトナム留学をきっかけに再び考えざるを得ないような3つの体験をしたので書いていきます。
生きるのに精いっぱいなホームレス
私がベトナムに来て2日目家の近くの韓国風チゲ鍋屋さんで夕食を食べているときでした。
数時間ぶりにWi-Fiが使えたので溜まっていたメールやラインの返信に没頭していたところ…。男性がどこからともなくやってきて私のココナッツティーをスーッと取って行ってしまったのです。左奥に見える透明のコップに入ったお水がココナッツティーです。
男性が私のコップに手をかけるその瞬間に目が合ったのですが,生気の抜けたまなざしを向けられ思わず硬直してしまいました。その後すぐに店員さんが気付き「その水は持っていっていいから出ていきなさい」というような素振りで男性を追い払いました。
店員さんは「申し訳ありませんでした。すぐ代わりの水をお持ちします」と言って新しいココナッツティーを持って来てくれました。
生計を立てるための「お仕事」
私が現地の友達と一緒にローカルな山奥へ旅行に行った時の体験です。(詳しくはコチラの記事をご覧ください)
このような山奥の集落に向けてバイクに乗せてもらっていました。その道すがら,山登りに入る地点でバイクの駐輪場がありました。
ここでは駐輪場の料金を払わなければなりません。もちろんバイクも停めますから,山登りをする人らが全員立ち寄る場所なんですね。そこで私はあるお婆さんに会いました。そのお婆さんはひたすら何かベトナム語で言いながらこんなものを手渡してきました。
私が困惑していると友達が来てお婆さんと何か話しています。友達曰く,私にこの食べ物を売りたいのだそうです。私は別におなかが空いていませんでしたし断りました。
しかし,お婆さんも何度も私たちに買うようにせまってきます。それを見た友達はこの謎の食べ物がいくつも入った袋をそのお婆さんから100円程度で買ったのです。その友達が
と謎の食べ物を渡してくれました。どうやらベトナムの伝統的なお菓子らしいです。せっかくなので食べてみましたが,それは乾燥したセロリに砂糖水が染みこませてあるような味がしました。友達いわくこの食べ物自体飲み込むものではなく,噛んで出てきた砂糖水をガムのように楽しむものらしいです。サトウキビの茎からできているといいます。
お婆さんのこの食べ物を売る必死さ。値段が少し高いこと。それらからお婆さんがこの食べ物を観光客が必ず立ち止まるバイクの駐輪場で売りつけることで生計を立てているということが薄々感じられました。
肉体労働を強いられる環境
山奥の村落への旅行の帰り道の出来事です。私は行きと同じように友達のバイクの後ろに乗せてもらっていました。
帰り道はバイクの駐輪場から田舎の集落を抜けて幹線道路にでるというルートでした。山道を抜けると,目の前に広がる長い一本道が広がっていました。周りには荒れ地が広がり,ところどころにかやぶき屋根の家があります。
歩行者などもちろん誰も見当たりません。ふと,前を見ると遠くにとぼとぼ歩く人影を発見しました。徐々に近づくにつれて,それがお爺さんでありカゴに数本の丸太とのこぎりを入れて自転車を押しているということが分かりました。
心なしか少しびっこを引いているような気がします。友達も気付いたのか,少しスピードを落としながら近くを通り過ぎます。お爺さんを追い越してしまった後に,友達は何かを思いついたようにバイクを方向転換しました。
「Did you see his blood?」
彼はそう私に問いかけてきましたが何のことだかさっぱり分からなかったので
「No」
と答えました。友達はそのまま方向転換してお爺さんのところまで戻りました。そして何やらベトナム語で話かけています。友達はお爺さんの右足を指差しました。なんと,お爺さんの右足の太ももから血が流れていたのです。友達は財布からお金を取り出してそのお爺さんに与えました。お爺さんはすがるような目つきで私たちを見てきます。私と友達はお爺さんに挨拶をしてその場を去りました。
お爺さんはなぜケガをしたのでしょうか。私の予想でしかないのですが,彼は山奥で丸太を切り出して,それを幹線道路沿いまで運ぶことで生計を立てていたのではないか。そして,丸太を切り出す際にケガをした。たしかに,ほぼ裸足のような状態で木や草が生い茂る山奥に行けばケガの1つや2つはしてしまいます。
3つの体験から考える「物乞い」
これらの体験は直接的な「物乞い」ではありません。しかし,私たちがお金や物品を与えるという点で密接な関係があると私は考えます。以下では生活困窮者を「物乞い者」と「非物乞い者」に分けてその方たちにお金を渡すべきなのかを考えていきます。
物乞い者
物乞い者について考える際に忘れてはいけないことが1つだけあります。海外では物乞いを使ってお金を稼いでいる悪い奴らがいるということです。つまり,物乞い者に対して私たちがお金を与えても,その方たちへの直接的な援助にならない可能性があるのです。
このことを踏まえて考えていきたいと思います。カンボジアで出会った物乞い者には大きく分けて3つあります。
障害をもった物乞い者
1つは障がいを持った方による物乞いです。このような方たちに対しては,私が気付いた時点でお金を渡すべきだと考えています。目の前に明らかに困っている方がいれば助けてあげるのが自然ではないでしょうか。本来であればこのような方たちに対しては政府が助けるというのが筋でしょう。
しかし現実は政府の援助や社会的なサポートはされていません。ですから,私たちが目の前の方を助けられる機会があるのであれば,ほんの少しでも良いので力になってあげるべきではないかと思うんです。
もちろん物乞い者にお金を渡していてはキリがないという意見も否定はしません。しかし,0か100かという話ではなく,政府がサポートする体制を整えるまで目の前の苦しみを少しでも和らげられることは貴重なチャンスだと私は思います。
ただこの方針の問題点もあります。障がいというのは,必ずしも目に見える形ではないということです。本当は障がい者なのにそうでないと思われている方もおられる可能性があることに注意が必要です。
子供による物乞い
2つは子供による物乞いです。これは,最初でお伝えした通り,物乞いを使ったウラの悪い奴らの存在を意識しなくてはなりません。お金をあげても直接的に子供たちの援助にならないこともあるのです。さらに,子供にお金を与えることは将来的に「働いてお金を得る」道を奪う行為でもあるのです。
働かなくても「物乞いのフリをすれば」お金が稼げてしまうのですから。そこで私が考える対応はお金以外のものを渡すということです。それは食べ物かもしれないし,衣服かもしれない。子供が必要としているものをあげるようにしています。
もちろん,何が本当に必要かは言語の壁があるので知ることができません。しかし,私たちに求められるのは「知ろうとすること」ではないでしょうか。かわいそうだからお金をあげる。怖いからとりあえずお金をあげてその場をしのぐ。物乞い者に対する対応はそんな生ぬるいものではいけないと思います。
私たちがこどもの状況を知ろうとし,必要なものがあればできる範囲でそれを渡す。分からなければ,例えば持っている傘を渡したり食べ物を与えたりすれば良いのではないかと考えています。
それ以外の物乞い者
障がい者でもなくこどもでもない場合,私はお金や物品は渡すべきではないと考えています。それは,悪い奴らの存在もそうですが,社会人であれば自力で生きる責務があるのではないかと考えているからです。障がいを持った方や子どもたちよりもよっぽど自力で生きる力を持っているはずです。
しかし,健常者の大人であってもどんなバックグラウンドかは分からないので適当なことは言えません。ですから,この意見は非常に冷たいものかもしれません。ここで私が言いたいのは,そのような方たちを見捨てるのではなくて,社会をよくすることで間接的にサポートするべきだということです。具体的に言えば,募金活動が一番身近なサポートなのではないでしょうか。さらに言えばその募金活動も
という内容の活動ではなく,生活困窮者を助けるインフラ整備に関する援助をするべきだと私は考えています。
非物乞い者
さて,私がベトナムで出会ったのは非物乞い者の方々です。私が今回出した結論は以下の通りです。
※目の前に困っている人が現れてそれに私が気付いたという前提で…
●明らかな障がい者(ケガも含む)
→お金の援助、応急処置と対応
●こども
→お金と物品の援助、対応
●それ以外
→物乞いに該当すれば渡さない
基本的には先ほどの理由と同じです。しかし,物乞いではないという観点からウラで動く悪い奴らの存在は限りなく低くなります。そして,物乞いでお金を得るという本来あるべきでないお金の稼ぎ方でもありません。日本で目の前にケガした人がいれば助けます。単純には
それと同じ理論です。ただし,私の体験でいう「観光客にモノを売りつける」
商売をしている方たちに対しては,それは物乞いに該当すると考えお金は支払うべきではないと考えています。
まとめ
今回の記事は「Grab」という便利なツールの紹介から,物乞いについて考えたことを中心にまとめていきました。多くの日本人であれば物乞いにあったときには深く考えずに無視してしまうのではないでしょうか。
さらに物乞いには「絶対にお金は渡すな」という意見も根強いです。もちろん,その意見を否定はしません。私が主張したいのは,物乞いに対して何も考えずに行動するなということです。お金をあげるなら,あげる理由はあるのか。お金を渡さないなら,渡さない理由は何なのか。ぜひこの記事をきっかけに,自分自身に問いただして考えていただけたら嬉しいです。