この記事では,私がベトナム留学中に感じたことや考えたことをお伝えしていこうと思います。本記事は<Part10>になります。このシリーズは全部で<Part20>まであるので,以下の記事で目次をまとめています。ぜひ参考にしていただければと思います。
これらのシリーズは,以下のような人を対象とします。
ベトナムがどんな国なのかを知りたい人
ベトナム留学でどんな経験ができるのか見てみたい人
日本と比べてベトナムがどう違うのか知りたい人
苦労したことや楽しかったことを知りたい人
[その29]お客様は神様「でない」
ベトナムでサッカーサークルに属していた私は,授業後の放課後に大会に向けた練習をしていました。練習が終わってベトナム流クールダウンした後(裸になってドリンクを飲みます),いつものようにみんなは帰ってしまいました。しかし,その日はバイクに乗せてくれていた友達がご飯に連れて行ってくれました。
ローカルフードを満喫し2人で話も盛り上がったのでこれからしっぽり飲むかという話になりました。夕食が終わったときはちょうど22時くらいでした。私はその友達に授業の質問もしたかったので
と提案しました。そしたら彼は怪訝そうな顔をして
と言いました。私は「コーヒーショップの店員さん」の立場になって考えたことがなかったので何も言い返す言葉がありませんでした。日本では「お客様は神様」というような考え方が抜けきれておらず,店員の立場になって考えられる人もそう多くはないのではないでしょうか。じゃあベトナムではお客様は神様ではないのかというと…
そうではないんです。ベトナムの喫茶店では,飲み終わったコップは置いたままで帰るのがふつうです。日本のコーヒーショップであれば返却棚があるお店もあります。しかし,ベトナムでは「返却棚」という文化が一切ありません。私が最初に行った喫茶店では,返却棚がなかったので直接店員さんにコップを返したらものすごく驚いた眼で見られました。何で持って来てくれるんだ、と。
ここでは,日本もベトナムも「お客様=神様」という視点で考えるのではなく「料金を払った対価の文化」と捉えると面白いと思います。というのも,ベトナムの喫茶店では必ずお水も提供されるんです。
このお水がなくなったら店員さんが注ぎに来てくれます。これも,「コーヒー代金の対価」なのでしょう。日本ではスタバをはじめとするコーヒーショップでは,長く居座ることを前提とした料金設定がなされています。これも,コーヒーの代金の対価として考えられるでしょう。文化によって何を対価にするかが変わってくるのです。水道水が飲めないベトナムではお水を出すというのが上級のおもてなしなのでしょう。
[その30]ビーチの存在
ダナン大学からバイクで10分の所にビーチがあります。世界的にも人気のあるリゾート地です。このビーチの存在が,学生にとって非常に意味のあるモノになっています。ダナンにはいくつもの学校があります。
この黄色のスターが全部学校です。これだけ近くに海や川があるもんですから当然
となります。ダナンのビーチは地元の学生にとってクラスメイトや親友,時にはガールフレンドと心の内をさらけ出す象徴的な場所です。私は東京生まれ東京育ちなので,身近に海があるなんて生活は考えたこともありませんでした。
京都では鴨川という素晴らしい川があります。京都の鴨川や哲学の道に代表されるように,人間は川や木などといった自然を目の前にすると純粋に自分と向き合えるみたいです。そういった意味でダナンというのは学問をする場所としても非常に適している環境なのではないかと感じています。
[その31]ベトナム人の感情
ベトナム人は一言でいえば幼稚っぽいです。思った感情は包み隠さず顔に出します。面白いときは腹をかかえて大笑いします。イライラしているときはとことん機嫌が悪いです。また,ローカルなベトナム人は外国人に対して何の思いやりも持たないことが多いです。たとえば私が頑張ってベトナム語を話そうとしても
というような素振りをして機嫌が悪くなってしまいます。私のホームステイ先のホストも英語がバリバリ話せるのですが,少しでも私が分かりづらい英語の表現を用いると
と機嫌悪そうに聞き返してきます。それに対して,大学の友達はがっつりローカルな人間に比べたら我々外国人に対する思いやりを持っている人が多いです。私がベトナム語を話そうとしたら夢中になって教えてくれますし,英語が通じない時も「頑張って話してごらん」というようにサポートしてくれます。このような面でも,ベトナム人はバックグラウンドによってかなり違いが出てくるのだなと感じていました。
[その31]ベトナム人の舌打ち
ベトナム人はよく舌打ちをします。私の周りでは,大学の友達が英語で言いたいことをうまく表現出来ない時に「チッ」と舌打ちします。また,自然な会話の中でも相槌のごとく「チッ」と舌打ちをします。日本では舌打ちは失礼なことですよね。私も小さいときに嫌なことに舌打ちをしてよく親に注意されていました。
対してベトナムでは,舌打ちは無礼なことではなくコミュニケーションの一部に溶け込んでいます。サッカーの練習をしているときも,授業中のグループワークでも舌打ちをする人が結構います。舌打ちが失礼とされている日本からベトナムに来ると嫌な思いをしてしまうかもしれません。しかしそこで
「ベトナム人は失礼だ」
「ベトナムは変な文化だ」
としてしまうのはあまりにも短絡的すぎます。我々日本人が舌打ちを無礼としない文化を理解できないように,ベトナム人もなぜ舌打ちが無礼なのか理解することができないのです。お互いの文化を知ったうえで理解して尊重することが必要ですね。この手の話題ではよく
というような意見を見かけますが,これは日本の文化の中でしか考えられていない典型だと思います。私は,ベトナムでは「日本では舌打ちは失礼」ということを伝えたうえで「私には使って大丈夫」と伝えます。なぜなら,日本の文化をベトナムで行使するなんて何様だって思うからです。その代わりに,ベトナム人が日本に来た時に苦労しないように,舌打ちを失礼とする日本の文化を伝えたうえで,私はどっぷりベトナム文化に浸かっていこうと思います。
まとめ
この記事では,お客様は神様という話題からビーチ,ベトナム人の感情,舌打ちの話をお伝えしてきました。だいぶ「国土・国民性」の内容に偏ってしまいました。異文化間コミュニケーションの成立にはお互いの文化理解が必須です。文化に優劣はありません。やり取りをする上では,お互いを尊重したうえで引くところは引く,押すところは押して最適解のポジションを模索していくべきだと思っています。つい最近,私は歩道を逆走してきたバイクと接触して流血しましたが,そこで
なんて騒いでも何の意味もありません。ここはベトナムです。ベトナムには,ベトナムの文化があります。それを知ったうえで,ベトナムの文化を尊重する必要があります。バイクの件に関しては文化だからとフタをするべきではないと思いますが,それでもやはりある程度こちらが「引く」必要も出てくるのだと思います。
同時に自国の文化を伝えていくのも彼ら彼女らに対する使命だと私は思っています。これからも,ベトナム文化と日本文化のさらに深い理解を目指して日々邁進してまいります。