本記事は教養記事シリーズその9です。その他の教養記事はコチラの目次をご覧ください。
モリカケって?
森友学園問題とは?
加計学園問題とは?
今の状況は?
モリカケとは?
ワイドショーやネットニュースでよく見聞きする「モリカケ」は,森友学園/加計学園の頭2文字を取った呼び方です。森友学園は私立の学校法人で,国有地の取り引きをめぐって財務省や安倍首相との関係が怪しまれています。詳しくは以下の記事をご覧ください。本記事では,加計学園の問題を主に扱っていきます。
加計学園とは?
学校法人加計学園は、現在、岡山理科大学、倉敷芸術科学大学、千葉科学大学、岡山理科大学附属高等学校、岡山理科大学附属中学校、岡山理科大学専門学校、玉野総合医療専門学校、御影インターナショナルこども園の3大学、1高等学校、1中学校、2専門学校、1こども園を設置しております。
加計学園HPより
加計学園は学校法人で,多くの大学や教育機関を運営しているグループです。そして,今回加計学園問題として論点になっているのは,加計学園が運営している岡山理科大学の獣医学部設置に関してなのです。
岡山理科大学獣医学部
岡山理科大学に獣医学部が設立されたのは2018年4月3日で,つい最近のことです。獣医学部としては52年ぶり,西日本私立大学での獣医学部設置は初めてのことでした。岡山理科大学に獣医学部が設立される前の状況と設置の理由は以下の通りです。
●愛媛県今治市は人口減少と中心街の過疎化に悩んでいた
●四国内に獣医学部はなかった
●四国では獣医不足が深刻化していた
これらの状況と理由から,地元住民が愛媛県今治市に獣医学部を新規設立する取り組みをしていました。しかし,そこには2つの壁がありました。
1つ目は「文部科学省の許可を得ること」で,2つ目は「多額の投資をしてくれる法人を探すこと」でした。前者に関しては,当時の愛媛県知事や今治市長,理解のある国会議員らの活躍により許可が実現しました。後者に関して,投資に名乗りを上げたのが学校法人加計学園だったのです。
実は,論点となっているのはこれらの2つの壁に関してなのです。
獣医学部新設の許可
獣医学部の新設許可を大学から得るのは非常に難しいとされています。しかし実際には岡山理科大学(加計学園)に新設の許可が下りています。ここで1つの疑惑が生まれました。「加計学園に許可が下りたのは理事長と安倍首相が友人関係にあったからだ」というものです。この疑惑こそが加計学園問題の中心になります。主張の根拠としては,獣医学部新設の許可が「規制を越えて」「加計学園だけに」下りたからというものです。
一方で,安倍首相との関係に対する疑惑は言いがかりなのではないかという意見も見られます。主張の根拠としては,規制を越えたのではなく「規制を変更した」のであり,加計学園だけに許可が下りたのではなく「加計学園以外が獣医学部の新設を諦めた」のであるというものです。
実際に,加計学園以外にも新潟の国家戦略特区と京都産業大学が獣医学部の新設許可を申請していました。しかし,両者は規制があまりにも厳しいことを理由に許可申請を辞退したのです。規制に関しては国家戦略特区会議によって一部撤廃が検討されていましたが,結論としては「1校だけ新規設立を許可する」というものになりました。その結果,加計学園に新設許可が下りてあたかも優遇されていると勘違いされるような状況になってしまったのです。
総理ご意向の文書
モリカケ問題でよく聞く言葉として「総理ご意向の文書」というものがあります。これは当時の獣医学部新設に関する担当者が上司に向けて作成したメモで,安倍首相が正式に発表したものではありません。さらに,内容は「規制の変更を早く進めなさい」というようなものであり,決して「加計学園の理事長はお友達だから許可を下ろしなさい」という趣旨の文書ではないのです。
モリカケ問題の本質と「忖度」
2017年の流行語大賞に選ばれたのが「忖度」(そんたく)という言葉でした。広辞苑によると,忖度は「他人の心中をおしはかること」という意味です。今回の問題に照らし合わせるために少し補足すると,立場の弱いものが強いものの気持ちをさぐることという意味になります。具体的には,官僚が安倍首相の気持ちをさぐって様々な改ざんなどの行為をしたのではないかという,ある種自虐的な流行語大賞となったのです。
私が思うのは,モリカケ問題の本質は忖度をしたかしないかという点ではないということです。まず第一に,マスコミや各種メディアが官僚のプライベートなどの情報の核を欠いた報道をしたことや,正確な発信を続けなかったことが大きな問題として挙げられます。次に,総理ご意向の文書という言葉が独り歩きしてしまった例でも言えるように,私たちがリテラシーを十分にもった状態で情報の取捨選択を行う必要があるということです。月並みな言葉にはなりますが,ネット社会に生きる我々は二次情報や三次情報に惑わされずに,しっかりと証拠となるモノを見て判断する必要があるのだと思います。