この記事では,私がベトナム留学中に感じたことや考えたことをお伝えしていこうと思います。本記事は<Part12>になります。このシリーズは全部で<Part20>まであるので,以下の記事で目次をまとめています。ぜひ参考にしていただければと思います。
これらのシリーズは,以下のような人を対象とします。
ベトナムがどんな国なのかを知りたい人
ベトナム留学でどんな経験ができるのか見てみたい人
日本と比べてベトナムがどう違うのか知りたい人
苦労したことや楽しかったことを知りたい人
[その37]ベトナム人と通りの名前
京都の碁盤目状の町並みは中国の古都長安をモデルにしたとされています。京都の人々は特徴的な道路の配置を生かして交差点を通りの名前で呼びます。たとえば,京都中央部を南北に走る「烏丸通」と京都中央部を東西に走る「丸太町通り」の交差点は「烏丸丸太町」と呼ばれています。このように,京都の人々にとっては通りの名前というのは非常に大切なのです。
同様のことがベトナム人にも言えます。ベトナムで友人と話していると,道の名前を使って会話が続く場合があります。
といった具合です。というのも,ベトナムの住所は「番号」+「通りの名前」で伝わってしまうからです。日本では通りの名前を基準に住所はつけませんよね。ベトナムでは日本とは異なる方法で住所が決まっているのです。例えば「41 Lê Duẩn」という住所です。これは「Lê Duẩn」通りの基準点から見て「41」番目ということを示しています。
ベトナムで通りの名前が重要な理由は他にもあるのではないかと私は考えています。おそらく,ベトナムの交通事情が関係しているのではないでしょうか。ベトナムでは公共交通機関が発達していません。ですので,「駅」という概念がそもそもありません。我々が東京で地名を示すときは「新宿」「渋谷」のように駅の名前を持ち出して地域を表します。しかし,ベトナムでは駅の名前がないので,道の名前を使うしかないのです。
例えば,ベトナム人にとっての通りの名前の重要さはWi-Fiパスワードの設定にも見られます。ベトナムの喫茶店では,通りの名前を使ってWi-Fiパスワードを設定しているお店が非常に多いんです。それだけ道の名前というのはベトナム人の生活に溶け込んでいるのです。
話は戻りますが,私が留学を始めたてのころベトナム人に自己紹介をすると
とほぼ確実に問われました。最初のうちは自分の家の通りの名前を知らなかったので,そこで会話が止まってしまい微妙な空気が流れてしまいました。ぜひ皆さんがベトナムに行かれる際には,滞在地の通りの名前は最低限覚えるようにしてください。
[その38]孵化直前の卵?!
ベトナムの居酒屋やバーに行くと,竹籠にフルーツやおつまみを入れて売り歩いているおばさんをよく見かけます。そのおばさんからおつまみを買ってみました。
こちらのおつまみは「うずらの卵」です。付属している塩につけて食べるとお酒がすすみます。こちらのウズラの卵ですが,ベトナム独特の食べ方があるんです。それは「孵化前の卵を食べる」という食べ方です。
となりますよね。孵化前の卵はベトナム人にとってはメジャーなおつまみです。その中でもウズラの卵は小さくて食べやすいので非常に人気があります。殻を割るといずれ頭になるであろう部分や爪になるであろう部分が嫌でも目に入ります。たしかに,見た目はグロテスクです。しかし,味は非常にマイルドで美味しいんです。おつまみにぴったりなベトナムのローカルフードであります。
[その39]ベトナムの自動販売機
非常に数は少ないですがベトナムにも自動販売機があります。上の写真は観光スポットとして有名なドラゴンブリッジ付近にある自動販売機です。買い方は非常に単純で,お札を入れて欲しい飲み物の番号を入力するだけです。そうすると,日本の自動販売機と同じように飲み物が(乱暴に)押されて落下してきます。
ただ注意点が1つあって,細かいおつりが出てきません。この自動販売機では一番細かなおつりが10,000VND(約50円)でした。私がこの自動販売機で水を購入したときは,5,000VNDのおつりが出てくるはずだったのですが,全く出てこなかったので焦りました。金額としては小さなものですが,おつりが出てこなかったので次の人が使えない状況だったからです。結局,自動販売機に書かれている注意書きを読んでおつりが10,000VNDからしか出てこないことが分かったので,仕方なくもう1本水を購入しました。いかに日本の自動販売機が優秀か思い知らされる出来事でした。
[その40]「英語が流暢でない」というレッテル
私自身留学に来てホームシックになったことや本当に辛い経験をしたということはほぼありませんでした。しかし,非常に悔しい経験はしました。私は日本生まれ日本育ちの純粋な日本人です。当時は小学校で英語を教えていませんでしたので,中学校から大学の一般教養までいわゆる「日本式」の英語教育を受けてきた典型的な日本人です。ですので,英語が流暢に喋れるということはなく唯一読み書きだけはできるかなといった状況でした。
私はホームステイのような形で留学の前半戦を過ごしました。ホストファミリーといっても,ベトナム人の娘さんが経営する小さな宿のようなところに泊まっていました。その娘さんなんですが,英語がペラペラなんです。そして,ベトナム人らしく喜怒哀楽の表現が非常に素直なんです。少しでも私が伝わりにくい英語を話すと
と不機嫌になってしまいます。ほぼ毎日娘さんとは顔を合わせるのですが,私がつたない英語をしゃべるたびに
と言います。私への不信感が蓄積していっているのが実感されました。そんなある日のことです。当時の宿には私の他にアメリカ人男性が一緒に泊まっていました。彼は世界を転々とするフリーランスの動画編集者で,1週間したら他の国に飛び立つ予定でした。そして彼の出国日の前日です。娘さんの気遣いでアメリカ人男性の送別会が娘さんの実家で開かれました。
私も招待されたので娘さんの実家に行ったのですが,非常にアットホームな雰囲気でベトナム料理を堪能することができて楽しい時間を過ごせました。アメリカ人男性と娘さんはハグをしたり写真を一緒に取ったりしており,たった1週間でこんなにも仲良くなれるのかと私は驚きを隠せませんでした。
時は1か月ほど進んで,今度は私が宿を出る日が近づいてきました。明日には,宿を出なくてはいけないという日に娘さんからメッセージが届きました。
なんという対応の違いでしょうか。私はリフォームがあることは聞かされてはいたものの,出発日に宿から早く出なくてはいけないことは知りませんでした。私が
と相談しても全く無視されてしまいました。宿を出る当日にも,私がつたない英語なりに頑張って感謝の気持ちを伝えたのですが,愛想笑いで流されてしまいました。おそらく,私の英語を聞く気はないということなのでしょう。これが言語によるハンデというやつです。非常に悔しい経験をしました。しかし,この体験によって私自身言語による差別をすべきでないことや英語の力をつけなくてはいけないことを身をもって感じることができました。
まとめ
この記事ではベトナム人にとっての通りの名前の話から孵化前の卵、自動販売機言語によるハンデの話をしました。特に英語が話せないことによるディスアドバンテージというのは,私が留学中に得た知見のなかでも強烈に印象深い経験であります。英語力をつければ将来役に立つ。そんな漠然とした思いで英語を勉強している方が多いと思います。
グローバルな環境におけるコミュニケーションでは,英語力によって自分の存在感や説得力が変わると考えてよいでしょう。どんなに知識があってどんなに人柄が良くても,英語力がなければ何の役にも立たないのです。世界共通の「自己表現力」を磨くためにも英語力は必須だと感じました。