この記事では,私がベトナム留学中に感じたことや考えたことをお伝えしていこうと思います。本記事は<Part3>になります。このシリーズは全部で<Part20>まであるので,以下の記事で目次をまとめています。ぜひ参考にしていただければと思います。
これらのシリーズは,以下のような人を対象とします。
ベトナムがどんな国なのかを知りたい人
ベトナム留学でどんな経験ができるのか見てみたい人
日本と比べてベトナムがどう違うのか知りたい人
苦労したことや楽しかったことを知りたい人
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[その6]現代ファッションとしての「アオザイ」
みなさんはベトナムの民族衣装である「アオザイ」をご存知でしょうか。
このような長いドレスの民族衣装です。「民族衣装」とはいっても現在では再び現代ファッションとして脚光を浴びています。アオザイとは「Áo dài」と書き,「長い上着」という意味です。
18世紀ごろに入ってきたチャイナドレスが起源とされており,その後フランス統治の時代を経て現在のような形になりました。アオザイは基本的に女性が着用します。男性用のアオザイも存在しますが,現在では結婚式などの際に着用されるのみとなっているみたいです。ベトナムに来る前は
と考えていました。そんな私の目の前に現れたのがこの光景です。
なんと学校の制服がアオザイだったのです。
はい。私も本当にびっくりしました。喫茶店でもこんな感じでアオザイ着てくつろいでいます。
また普段着としてもアオザイのような形のファッションを取り入れている方を町中で見かけました。どうやら,ホーチミンやハノイなどの都市部ではアオザイを部分的に取り入れたファッションが流行しているようです。
ベトナム人女性は細身のタイプが多いので,アオザイを着るとものすごく映えます。これこそ「ベトナム女性の美」だと感じておりました。
[その7]多様化世界でのコミュニケーション
私が留学に行き痛感したことの一つです。自分には「自国文化への愛」が足りなかったんです。そう思わせてくれたのは,このシーンがキッカケです。
これは普通の小学校のお遊戯会です。家の近くで大音量の民族音楽が聞こえたので行ってみたのです。
日本における文化理解
こんなに小さい子供たちがベトナムの文化を体現している。たしかに小学生だから「やらされている感」はあるのかもしれない。しかし,私の目に写った彼ら彼女らは堂々と自国の誇りを示しているように感じました。その現場を目の当たりにした私は,自分の日本へ対する文化理解について考えずにはいられませんでした。
大学でできた現地の友達はみんなベトナムを愛し,誇りを持っているようでした。ベトナムの歴史を語らせたらもう止まりませんし,近くにある観光名所についても旅行会社かってくらい詳しいです。それでいて,他国文化への尊敬の念も忘れずに持っています。
尊敬だけでなく他国への興味もハンパないです。なぜこんなにも見知らぬ国へ興味を持てるのか。私は不思議でなりませんでした。
国境を越えたコミュニケーション
この留学では,様々な国籍の方と触れ合わせてもらいましたが「自国愛」と「文化理解」の2点がないと国境を越えたコミュニケーションは成立しないのだと感じました。初対面の会話では,相手が自分の国を語り日本の文化を尊敬してくれることが多いです。
さて今度は自分の番です。
果たして私が自分の国の何を語れるのか。京都に住んでいながら一度も寺を見ずに,バイトや遊びに明け暮れていた自分に日本の何が分かるんだろう。そして何より,私はあなたの国について何も知らない。相手の示してくれた態度に対してそれはあまりにも失礼ではないか。一気に頭が真っ白になりました。
国境/人種/性別…を越えたコミュニケーション
今になって振り返ってみると,頭に隕石をぶつけられた程ダメージを受けたこの経験こそ,いわゆる「留学で視野が広がる」というヤツだったのかもしれません。そして,先ほどは「国境を越えた」コミュニケーションと書きましたが,私たちが目指すべきなのはありとあらゆる世界の区切りを越えたコミュニケーションなのだと思います。
それは人種かもしれませんし性別かもしれません。年齢かもしれませんし,言語かもしれません。世界は多様化の時代です。何が正解かも分かりません。そもそも正解があるのかすらも知ることができません。
そんな世界の中で,先天的に与えられたあらゆる区切りに対してそれらをいかに超えていくかが多様化の時代の鍵ではないかと私は考えています。この留学では多様化の時代で生きていくということは,まず自国愛と文化理解であるということを学びました。しかし,私が言いたいのは
ということではありません。先天的にあなたは日本に生まれたわけです。その日本を知らずして他の国を知ることはできないのではないでしょうか。先天的な区切りを越えるための手段として,自国愛と文化理解が必要なのです。
究極的な目的は多様化時代のコミュニケーションです。
まとめ
一旦<Part3>は終了します。私はもともと留学に良いイメージを抱いていませんでした。
しかし実際は,留学に行くことで「理由・目的」というキレイごとを越えて多様化時代を生きるとは何かということを身をもって体験することができました。要は,ぺちゃくちゃ言ってないでまずは行動してみろって話に繋がるのだと思います。ですから,留学ではエキゾチックな経験をしてなんぼだということですね。これからもさらなる刺激を求めて邁進していきたいと思います。