みなさんは,ベトナムという国にどのようなイメージをもたれていますか?実際のベトナムの歴史は,非常に複雑です。そして,現在のベトナムに最も影響を与えているのは,第二次世界大戦以降の歴史です。そこで,この記事ではなるべくみなさんが理解しやすいようにキャラクターの会話形式でベトナムの歴史をまとめていきます。
ベトナムの第二次世界大戦以降の歴史を会話形式で簡単にまとめていきます。
登場人物
この記事の登場人物を発表します。
この方々が登場人物になります。イメージは湧きましたか?それでは開幕です。
<第一部>第二次世界大戦の終戦
【1940年ごろ】
こうして,フランスの勢力は次第に弱まっていきます。そんな中,ベトナムでは…
こうして,北ベトナムでは飢餓で多くの人が亡くなってしましました。このような経緯もあり,北ベトナムにとって日本やフランスのイメージはあまり良いものではないといいます。
日本は,ここぞとばかりにインドシナを北から侵攻しました。しかし,日本も次第に勢力を弱めていきます。ここで,ベトナムの父「ホーチミン」がベトナムの王朝をなくし独立を宣言するのです。
こうして,めでたくベトナムは独立しました!……とはいかないのが世界史の難しいところであり学ぶべきところなのです。
こうして,第二次世界大戦終戦後ベトナムは混乱状態に陥るのです。さらに…
こうして,第二次世界大戦から第一次インドシナ戦争へと発展していきます。
<第二部>ベトナムの南北分離
こうして,フランスはまたベトナムを植民地化しようと試みます。
【1950年ごろ】
しかし,ベトナムも黙ってはいません。
こうして,第一次インドシナ戦争が始まります。
こうして,フランスはサイゴンを中心に傀儡国家を作り上げます。
こうして,ベトナム側が少しずつ優勢になっていきます。
こうして,長引いたインドシナ戦争は,ベトナムとフランスが二国が協定を結ぶことにより終戦します。
こうして,ベトナムは南北に分断されてしまいます。
世界の社会主義化を恐れたアメリカは,ベトナムとフランスの争いに干渉します。こうして,終戦したかと思われた戦争が再び起こります。冷戦の構図として起こったこの争いは,「ベトナム戦争」と呼ばれあらゆる意味で世界的に有名な争いに発展しました。
<第三部>ベトナム戦争終戦
こうして「北ベトナムVS南ベトナム」「社会主義VS資本主義」の構図の争いが始まります。このような中で,南ベトナムは独裁政権を強行します。
このような,カトリックによる独裁政権に仏教徒は黙っていません。なんと,ある仏教徒がアメリカ大使館の前で焼身自殺することで抵抗を試みたのです。
この,南ベトナム政権の「人間BBQ」発言により仏教徒は各地で反乱を起こします。その結果,南ベトナムは非常に不安定な状態になります。
こうして,ベトナム戦争はアメリカの参入により冷戦の構図で本格化していきます。この構図こそ,ベトナム戦争が「代理戦争」だと言われている所以でしょう。
こうして,アメリカは農民も妊婦も少女もお構いなしに無差別殺人するのです。
ソンミ村虐殺事件は,アメリカの世論も大きく動かしました。「こんな戦争辞めてしまえ。」そう叫ぶアメリカ国民が増えました。さらに,アメリカは非人道的な行為に及びます。
こうして,アメリカは化学兵器ともいえる枯葉剤を導入するのです。枯葉剤の影響は後世まで続き,今でも奇形児が生まれるなど被害は続いています。
こうして,ベトナム戦争は終戦しました。
ベトナム戦争は,あらゆる意味で世界的に注目されました。まずは冷戦の構図としての代理戦争だったこと。次に,世論が大きくアメリカを動かしたこと。最後に,非人道的な枯葉剤を導入したこと。我々は,ベトナム戦争を教訓にして学ぶべきことはたくさんあります。
まとめ
いかがでしたでしょうか。最終的には,社会主義国家であった北ベトナムがベトナムを制覇しました。ゆえに,現在ではベトナムは社会主義国家の体制を取っています。これらの歴史を理解すると,より一層ベトナム留学やベトナム旅行を深く楽しめます。
たとえば,ベトナムのサンドウィッチ(バイン・ミー)といえばフランスパンで作ります。そのくらい,現在の生活に歴史が根付いているのです。少しでも良いので,ベトナムの歴史を学んだうえで旅行や留学に行ってみてくださいね!