本記事は教養記事シリーズその2です。その他の教養記事はコチラの目次をご覧ください。
普天間基地とは?
辺野古基地とは?
何が問題なの?
沖縄の状況は?
普天間基地について
沖縄には,アメリカの陸海空軍と海兵隊の基地があります。そのうち普天間基地は,沖縄にあるアメリカ海兵隊の飛行場にあたります。ここでは簡単に歴史を振り返ってみたいと思います。
普天間基地のはじまりは第二次世界大戦中の沖縄戦です。1945年の沖縄戦の最中にアメリカ軍は宜野湾村にある一部の集落の中に強制的に基地を設営しました。これが普天間基地の始まりです。1951年にはサンフランシスコ講和条約を締結することにより日本は主権を回復し,1972年には沖縄が変換され施政権を得ることになりますが,沖縄には依然として米軍基地が残った状態となりました。普天間基地では,以下のような問題が生じていました。
●騒音
●事故の危険性
●周辺が市街地
問題に火を点けたのは1995年に起こった米兵による少女暴行事件です。この事件をきっかけに,世論が米軍基地の移設/閉鎖/返還を求めるようになります。1996年には,当時の首相である橋本龍太郎氏は「沖縄に移転先を作る」という条件の下でアメリカと普天間基地を5~7年以内に返還することで合意しました。
この移転先の候補として挙げられたのが辺野古地区だったのです。1999年には辺野古への基地移設が閣議決定されます。
辺野古基地について
普天間基地の移転先として選ばれたのが辺野古です。理由としては以下が挙げられます。
●既存の基地(キャンプ・シュワブを利用可能)
●住宅街から離れている
●海上にヘリポートを設置できる
しかし,辺野古移設への反対意見も根強いです。理由は以下の通りです。
●サンゴやジュゴンなどの生態系への影響
●排水や排油などによる環境汚染
●漁業への影響
●県内でのたらいまわしに過ぎない
沖縄の動向
2012年12月に発足した第2次安倍政権の下で,当時沖縄県の知事であった仲井真弘多氏は辺野古沿岸部の埋め立てを承認しました。しかし,2014年には名護市長に稲嶺氏が,沖縄県知事に翁長氏が当選しました。両氏は辺野古移設に反対派であったため,国と沖縄県の対立がさらに表面化しました。
翁長知事は2015年に辺野古移設の取り消しに取り掛かかりましたが,結局最高裁判所で敗訴することになります。
2018年には,名護市長に渡具知氏が当選しました。そして同年8月には翁長知事が急逝してしまいます。同年9月には,玉城氏が沖縄県知事に当選しています。玉城氏は,普天間基地の返還/閉鎖を要求しつつも辺野古移設に反対とする立場を取っています。
まとめ
普天間基地移設問題は,途中で複雑化するものの,一度は合意された辺野古移設という方針に対して「妥当」とするか「移転先は決められないが返還/閉鎖を要求する」という立場同士の争いです。今後の動向に注目したいきたいと思います。
極めて初歩的な質問ですがこんなに長くこの地域に住んでいる住民は家が老朽化して建て直した人も多いと思いますが その際に国がその土地を買い取り 他地域への立ち退きをさせなかったのでしょうか?それがとても疑問です。
家やマンションが老朽化しても新築をして住み続ける理由はなんですか?
こーしっぺ様
ご質問ありがとうございます。
自分も特に詳しい訳ではないのですが,おそらく地元に対する愛着心などから退かれない方がいらっしゃるのだと思います。
国による干渉は以下のリンクが参考になります。
https://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/tochitai/atochi/tochisenkousyutoku.html